1、仮説

【悟りの境地に達する法】とは俺が勝手に付けた名前です。

まだまだ語り尽くせてはいませんが、これは私自身の実体験です。

この世で最も単純で最も難しいもの、それが真理である。あまりに単純すぎて超難解なんだよ。

悟りの境地なんて一生を捧げても到達できないのが普通です。それでも貴方は挑戦しますか。

というか、そもそも真理なんてものに気づきもせず、いつの間にか生まれて来ていつの間にか

死んで行くのが普通だろう。まあそれでも良いんだけど、迷いに迷う人生ってのも良いかもし

れない。そもそも迷っている事にすら気づかない。

【悟りの境地に達する法】。俺はこの為だけに生きて来たようなものである。勘違いしない

で欲しいのは、あくまでも精神面での事であり、山ごもりとかしていたわけではありません。

俺は仙人でも何でもないので御飯を食べないと生きてはいけませんので普通に働いて生きて

来ました。

悟りの境地に達するといっても、あくまでも俺が決めた俺のゴールに辿り着いたという事です。

まあ実際のところ魂が行き着く最終的なゴールというものは俺にも分からない。但し俺がたどり

着いた地点はかなり高度な所である。俺は20歳の時にあるゴールを設定しスタートした。

2020年、俺は58歳である。俺が目標に達したと納得できたのは2020年になってからで

ある。俺はこれまで自分が悟りの境地を目指している事は誰にも話したことはありません。

俺の目標を人に話したところで何の意味もありませんからね。俺自身が分かっていれば

十分ですからね。

20歳までの俺は滅茶苦茶不運な人生を歩んできた。20歳の頃の俺は死にそうなくらい

体が悪かった。片足が麻痺し、毎日、24時間、2ヶ月間、激痛に苦しんでいた。

俺は死にたくなかった。生きていたかった。そんな時ある閃きがあった。

俺は20歳の時にある仮説を立てた。人間には『魂』というものが在るという仮説、

そしてその「魂が汚れていると苦しむ」という仮説を立てた。という事は魂が綺麗に

なれば苦しみから逃れられるという事になる。例えば2ー1=1という理屈があります。

その理屈を現実の世界で実践してみる。例えばリンゴが2個ある。

2個のうち1個を食べてしまうと残りは1個である。その理屈が正しければ現実の世界

でも理屈通りの答えが出るハズである。俺が立てた仮説(理屈)が正しければ魂が綺麗

になれば苦しみから解放され素晴らしい人生になるハズである。

確かに俺はこの様な仮説を立てた。だが大きな問題があった。どうやったら魂が綺麗になる

のかが分からなかった。こんな事では一生かかっても到達できないかもしれないと思った。

さらにそれは俺が立てた俺の仮説であってその仮説が正しいという保障もない。

それでも俺は「自分の魂を一点の汚れもないくらい綺麗にする」

「何があっても最後までやり抜く」と決めた。そう覚悟を決めたら体の激痛が消えた。

不思議な事に近所のお婆ちゃんが俺の体を治してくれた。

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